私の「自由である」ことの定義(メルマガからの転記)

August 1, 2016

 相変わらず、めまぐるしい日々を
過ごしています 苦笑

 

ゆっくりしたいといいながら、

きっと自分にはその気がないのだろうと、

なかば諦めはじめました 笑

 

昨日まで、2日間の癒しフェアでの出展が終わり、

明日からは、エサレン・マッサージの師である

エレン・ワトソンの来日のため10日間ほど張り付きになります。

 

この忙しさ、バタバタのなかで、大切にしたいのは、

「自由で在る」ということ。

わたしにとって、なによりも大事なこと。

 

そして、「自由で在る」ためには、

自分の身体を感じ続ける必要があるのです。

 

わたし、ものごころついた時から、
「間違ったところに生まれてきちゃった」と親に

「本当はどこの子なの?」と詰め寄ったり、
常に、なぜか不自由を感じて、自分の本当の居場所を探し続けてきました。

 

いろんな国に住んでみたり(ブラジル、アメリカ本土、フィンランド、ハワイ)

結婚して家庭を持ったりしましたが、

そのどこにもここに属しているんだと実感する居場所はなく。。。

 

そして、「本当の居場所は、外にはない。自分のなかにこそあるのだ」と

精神世界的な教えから、自分の内側の探求も始めました。

 

そこにはエサレン・マッサージがあり、
ゲシュタルト・アウェアネスがあり、瞑想があり。

 

外に求めるよりは、まだましな自分の内側の探求だったけど、

なんだかまだしっくりとこない。

 

でも、「身体」というものを感じる必要性は、

どこかではっきりと感じていました。

だからこそ、この仕事を選んでいるのですな。

 

人にふれることで、自分もふれられているから。


自分も感じることができるから。

 

そんなとき、ひょんなことから、
あるヒーラーさんとのセッションで、
「自由というものの定義」について、探求。

 

わたしは何をもって「自分は自由なんだ」と喜べるのか。

 

オーリングで探っていくと、

好きなところに行ったり、
興味のあることを学んだり、
好きなものを食べたり、
自由にお金を使ったりすることを、

わたしの潜在意識は、
「本当の自由」と感じていないということ。

 

この身体に存在していること自体を、
非常に不自由だと感じていることに気づいてしまった。

 

この身体に、うまく存在できるように、つながれるようになってこそ、

初めて自由というものを感じることができるだろうということ。

 

身体の探求の旅は、まだまだ長く続くのですが、
はやく居心地のいい身体となるよう(身体とつながれるよう)、
日々、感じつづけていきます。

 

そこで、非常に役立っているのが、この2年程、はまっている音叉。

 

もともとは、3年前の開腹手術後に

たくさん摂取した薬を排出するセルフ・ケアに音叉を使いだしたのですが、

やればやるほどはまる 笑

 

なによりいいのは、音=周波数は
無意識下=潜在意識に、響くところ。

 

思考が邪魔しないのですよ。

 

そして、これは、自分だけではもったいないとセッションにも使い出し、
今回出展した癒しフェアも、
「クラニオと音叉」という私にとっては最高の組み合わせ。

 

そして、気づいたら、周りの方たちも音叉に興味のある人がちらほらと 笑

 

また、音叉体験ワークショップやりますね~

 

セルフケアや、今のセッションにちょっと使えるといいと思います。

 

わたしもまだまだ学び中。深いです。

 

つい最近、13チャクラなるものを、音叉で開いてきました。これからが楽しみ。

 

そして、エレンが帰国したあとは、10日後に今度はイタリアに、
ビジョナリー・クラニオ・セイクラルを学びに行ってまいります。3週間程。

 

自分の夏休みであり、ずっと会いたかった伝説のオステオパス、ヒュー・ミルンに会ってきます。

 

Life is a journey.

 

こんな不定期なメルマガにおつきあいくださり深く感謝します。
 

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